長崎大学

長崎大学医学部

nagasakidaigaku3.jpg 記念講堂
長崎大学医学部は、被爆当時「長崎医科大学」という名称でした。その前身は、明治の初期まで東京大学と並んで2大学の一つとも言われるほど、日本における最高の医学教育機関であり、伝統と由緒に輝く西洋医学発祥の学校でした。

pompekaikan.JPG ポンペ会館
長崎大学医学部構内にある、レンガ造り2階建のポンペ会館です。長崎医学同窓会が長崎大学医学部創立130周年、原爆復興40周年を記念して、多数の募金により、1992年(平成4年)8月31日に建設したものです。

長崎大学医学部はオランダの海軍軍医ポンペが日本で初めて西洋式の系統的医学講義を長崎奉行所西役所(現在の長崎県庁付近)の一室で行った1857年11月12日を創立の日としています。

monyumento.jpg 平和モニュメント
1945年(昭和20年)8月9日、11時2分、爆心地から東に約600mの距離にあった長崎医科大学の木造建築は原子爆弾の炸裂により全壊全焼しました。教授や学生たちは逃げるひまもなく、倒壊した講堂の下敷きとなり、次いで発生した火災のために焼死し、講堂の焼け跡からは、教授は教壇に、学生は座席についたままの姿の遺骨で発見されたそうです。長崎医科大学における死亡者数は、附属病院を含め、大学関係者と学生を合わせて892名でした。
このモニュメントは、1995年(平成7年)原爆復興50周年記念事業の一環として設置されました。

現在は、原爆後障害医療研究施設や原爆被災学術資料センターなどの研究施設を持ち、今でも原爆症に苦しむ人々の治療技術の向上を目指して努力しています。

その長崎大学医学部は、2007年に創立150周年を迎えることになります。

創立150周年記念事業について、詳しくは、長崎大学医学部公式サイトにて

長崎大学

長崎大学医学部附属病院

nagasakidaigaku2.JPG 長崎大学医学部附属病院
長崎大学医学部附属病院は原爆が投下された昭和20年頃は「長崎医科大学附属病院」と言う名称でした。現在の正式名称は「長崎大学医学部・歯学部附属病院」です。長崎の市民には「大学病院」として親しまれています。

daigakubyouin2.JPG 被爆当時の病院
坂本町の小高い丘にあった長崎大学医学部附属病院は、原子爆弾が投下された爆心地の松山町から約700mの距離にあり、堅固な鉄筋コンクリートの建物でしたが、原爆の熱線と爆風によりその外形を残したまま、内部は完全に破壊され燃え尽きてしまいました。患者200名を含む1000人以上の方がこの地で死亡したものと推定されています。

pompe&siebold.JPG ポンペとシーボルト
長崎大学医学部附属病院は、オランダ海軍軍医ポンペ・ファン・メールデルフォルトによって、1861年に日本で最初の西洋式病院である養生所を長崎の小島の丘陵に開きました。その後県立長崎病院、長崎医科大学附属医院、国立長崎大学医学部附属病院へと変遷、現在は総病床数 869個の最先端医療技術を誇る総合病院です。(2007年現在)詳しくは公式サイトにて

daigakubyouin3.JPG 水壷を持つこども
病院正面玄関前の広場には小さな池があって、憩いの場となっています。


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