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長崎の話題&お知らせ

7.23長崎大水害の記憶

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長崎の夜の繁華街 銅座・丸山に入る入り口に「思案橋の碑」と「長崎大水害水位」という碑が建っている。1982年7月23日の大水害の水位を示した碑である。
その碑の1.57メートルの地点に溝が彫ってあるが、あの「長崎大水害」の時の水位である。

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付近は浜の町の繁華街だが親和銀行の思案橋支店の前の歩道上にひっそりと建っている。

あの日私は、夕方大橋方面で実車したお客を浜の町のアーケードの入り口、「馬場家具」付近で降ろした。この時の時間が18:00頃、車から降りるお客の足はくるぶしまでつかるほどの水がすぐ脇に中島川があるにもかかわらず溜まっていた。
この後の30分ほどで、この付近の水位が1メートルに達したと後からニュースで聞く。

その後、この危険な状況を回避しようと浦上方面の営業所に帰る途中、反対方向の為石まで乗せて欲しいと言う母子の願いをどうしても断りきれず、大雨が降る中、一路為石まで向かった。

途中大浦で、警察官に停車を命じられ、「ガス漏れの為危険」との事。
迂回しながら浪の平あたりまで行くと今度は小ヶ倉でがけ崩れで道路封鎖になっているとの事、バイパスの方はまだ大丈夫のようだとの同僚の無線で坂を登った。

新戸町あたりまではなんとも無かったが、大山の入り口の交差点付近に差し掛かったら、四方から水が集まり車のバンパーより高い位置まで濁流があふれている。
ここは、マフラーに水が入らぬようチョークを全開で一気に行くしかないと腹をくくりその場はどうにかやり過ごすことが出来た。

大浦から南の方は、市内の中心部より比較的雨量が少なくて、どうにか為石までお客(母と娘)を送り届け、降り際の涙ながらに感謝の言葉を聞いた時には「何もそこまで・・・」と思ったが、翌日の惨状を見たら、あの時断っていたらこの親子はどうなっていただろうか?。

為石からの帰途、小ヶ倉バイパスに差し掛かると行きよりももっとひどい事になっていた。何と大山入り口までの坂道が大きな川と化して、無人の車が流されているではないか。路肩に駐車していた車が水の勢いに負けて流されていた。
おまけに良く見ると大山の入り口の交差点付近には、車の屋根だけが見えている大きな水溜りが出来ていた。

このまま、この丘の上の場所にいたら確実に流されて、あの車と同じになってしまうと思い、「ここはどうしても抜けないと・・・」と、川を下る船のように流れに身を任せて一気に下りました。一トン以上もある車が水の勢いで、船のように浮くんですよ!

どうにか平地まで行くことが出来たが、市内を抜けて営業所に戻る事は無理のようなので、OKホームセンター付近まで行くとあまりの風雨の為、近くのマンションの駐車場に避難して一夜を明かすことになった。

今思えば、あの時大変な思いをして親子を為石まで乗せて行ったが、その事で私は助けられたのかも知れない。事実反対側の川平の方では沢山の死者が出ていたのだし、通常はその付近が私の流すコースだったから・・・。

その後の長崎は何事も無く平穏な生活を送っているが、最近の異常な雨の降り方を見ていると、あの日亡くなった人たちの冥福を祈らずには居られない。あれから25年が過ぎて、今も生きている事に感謝して「合掌」。

記事の最後に長崎年表さまより引用させて頂いた、
時間の経過と被害の状況を記録したものを掲載します。 

 07/23★長崎が気象観測史上最大の集中豪雨に見舞われる。長崎大水害
     ☆16時50分、長崎地方に大雨洪水警報、強風雷雨波浪注意報が発令
     ☆17時までの長崎市内と周辺の降水量は1粍
     ☆19時〜22時の3時間雨量が311.5粍と最大ピークに
     ☆20時30分、浜町辺りの水位が100糎に
     ☆20時30分、長崎市災害対策本部、長崎市水道局災害対策本部が設置される
     ☆21時頃、浜町辺りが停電となる
     ☆21時すぎ、市が県に災害救助法の適用申請と自衛隊の派遣を要請
     ☆21時40分、知事が自衛隊法第23条に基づき陸上自衛隊に災害派遣を要請
     ☆満潮になる前、市が緊急通話用の無線電話でNHK長崎放送局のみに市民に避難を呼びかけるよう連絡
     この放送は、のち市からの要請かNHKの単独によるものか問題となる
     ☆21時55分、浜町辺りの水位が180糎に
     ☆22時30分、長崎港が満潮になる
     ☆22時30分、浜町辺りの水位が200糎に 
     ☆22時45分、浜町辺りの水位がとまる
     ☆翌07/24・03時00分、浜町辺りの水が引き始める
     ☆08時00分、浜町辺りの水が完全に引く
     07/23に県中部から南部に停滞した梅雨前線の降り始めから翌/24までの総雨量は572粍(長崎海洋気象台観測)
       572粍は、600〜700年に1回という確率の未曾有の雨量
       7/11〜/20の累計564粍の先行雨量と07/23の19時〜22時の3時間の集中豪雨が大水害の遠因
        19時〜20時…115粍
        20時〜21時…98粍
        21時〜22時…102粍の時間雨量を記録、19時〜22時の3時間で315粍に
       長与町役場では19時〜20時の1時間で187粍(過去最大の時間雨量)を記録
     ★長崎大水害の最終被害/( )…前掲数字のうちの長崎市の数
       人的死者…299人(うち長崎市257人)、行方不明…5人(5人)、
       重傷…16人(13人)、軽傷…789人(745人)
       家屋全壊(焼)…584棟(447棟)、半壊(焼)…954棟(746棟)、一部破損…1111棟(335棟)、
         床上浸水…1万7909棟(1万4704棟)、床下浸水…1万9197棟(8642棟)
       道路…4969か所(1113か所)、橋梁…116か所(51か所)、河川…4190か所(1163か所)
       崖崩れ…4306か所(535か所)、地滑り…151か所(28か所)
       被害総額…3153億1336万1千円(2119億5987万7千円)
     浜町商店街が173糎の水につかる
     14のアーチ石橋のうち 眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流失、のち相次いで再架
      袋(町)橋(0000以前)………1985(昭和60)01/☆復元
      眼鏡橋(1634)…………………1983(昭和58)10/15☆復元完工式
      一覧橋(1657)…………………1986(昭和61)05/02☆中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      東新橋(1673)…………………1986(昭和61)05/02☆中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      桃溪橋(卜意橋)(1679)……半壊修復、1985(昭和60)☆原型に修復
      すすき原橋(1681)……………1986(昭和61)05/02☆中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      阿弥陀橋(極楽橋)(1690)…河川改良工事で解体→改架
      古町橋(1697)…………………1986(昭和61)05/02☆中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      大井手橋(1698)………………鉄筋コンクリートに改めて架設
      編笠橋(1699)…………………1986(昭和61)05/02☆中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      高麗橋(1652)…………………河川改良工事で解体→改架→平成05(1993)03/西山ダム下に移築復元

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この記事へのコメント

  • mayu3
  • 2007年07月21日 09:50
  • 長崎大水害・・・この時期になると思い出します。
    私はまだ中学生でしたが、矢上に住んでいたので、八郎川が氾濫して、車も人も、豚まで・・・流されていました。
    学校でも亡くなった人もいて悲しかったし、きんつばの親戚も土砂崩れで亡くなりました。みるみるうちに水かさが増してくる恐怖は忘れもしません。明後日23日で25年・・・ 亡くなった方のご冥福を祈ります・・・
  • うえまつ
  • 2007年10月22日 23:15
  • 大水害の時は、東京で働いていました。
    遠い故郷の惨状に唖然となったものです。

    記事は、ドラマチックですね。
    情けは人の為ならず!
    素晴らしい経験をされていますね。
  • じげもん
  • 2007年10月23日 00:08
  • こんばんは!コメントありがとうございます。

    記事ではかなり省略して書いていますが、夕方の6:00から朝の6:00ぐらいまでの間の葛藤ですから、それは凄まじい体験でした。
    二度と御免ですね!

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