坂の町長崎をアピールするかのようなその敷地には、明治時代の洋館を移築した情緒あふれる観光スポットです。
グラバー邸は文久3年建築。 幕末日本の近代化に尽力した英商トーマス・グラバー氏の旧邸。オペラ「蝶々夫人」ゆかりの地とされ、現存する木造洋館ではわが国最古のものです。
園内に入ると順路が示されていて、まず最初に目にするのが、この「動く歩道」最初に一番高い所まで行って、そこから坂を下りてくるコースになっています。
ここが確かに居留地だったんだと思わせる境界を示す石柱が集められています。
ドックハウスとは船が修理のためドックに入っている間、乗員たちが宿泊する施設のことです。この洋館は、1896(明治29年)三菱重工長崎造船第2ドックの建造に伴い建築されました。明治初期建築の典型的な様式を持っています。現在この施設には、三菱の造船建造の歴史などをパネルで紹介しています。また、大型の帆船模型などを展示して、長崎と船との結びつきなどが紹介されています。
長崎出身の砲術家「高島秋帆」が監修して作らせた和大砲です。
旧ウォーカー邸(Wa|ker House)
この建物は、明治後期に建てられたと推測されるもの。
ロパート.N.ウォーカーは、日本初の清涼飲料水会社「バンザイ炭酸水会社」を設立した人としても有名。
ロパート.N.ウオーカー氏の兄、ウィルソンは、横浜で卜ーマス・グラバー氏と共にジャパン・ブルワリ・カンパ二ー(キリン麦酒(株)の前身)を設立した。
この家にはイギリス人フレデリック・リンガー(F.RINGER1840〜1908)が、明治時代に住んでいました。幕末から明治初期の頃の代表的な洋館の姿です。
我が国に例の無い石造りの洋風住宅で重厚な中に優雅さが漂っているのが特色です。
この家はイギリス人ウィリアム・オルト(W.ALT 1840〜1905)が4年間住んでいた建物で、1865(慶応元年)前後に建てられたものです。石造り円柱の並ぶベランダの中央に切妻屋根のポーチがあり幕末から明治期の洋館遺構の中でも特色ある建築です。設計はイギリス人ですが施工は日本人の小山秀之進といわれています。また、このオルト邸は1880(明治13年)から2年間、創立期の活水学院校舎として使用されていました。
オルト邸のポーチ横には日本最古で最大級の木香バラが茂っています。
フェンス沿いには数種類のバラが咲いていて、訪れた人を和ませてくれます。
この建物は、1887(明治20年)にアメリカのダッチ・レフォームド教会外国伝導局長のスチイル博士が、18歳で亡くなった息子ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校「スチイル・メモリアル・アカデミー」で、東山手9番地(旧英国領事館跡)に建てられました。その後私立東山学院、長崎公教神学校、東陵中学校、海星学園校舎として使用され、1972(昭和47年)保存のため海星学園より長崎市が寄贈され、現在地に移築し復元されたものです。
トーマス・ブレーク・グラバーの息子、トミー・グラバー(日本名・倉場富三郎)が作ったといわれるアスファルト道路で、日本最初のものです。
オペラ「マダム・バタフライ」でヒロインの蝶々夫人を演じた日本人オペラ歌手 三浦環の記念像。
長崎市の水道は1891年(明治24年)に創設されました。
これは、当時の共用栓です。
長崎は西洋料理の発祥の地、この建物は1878年に西洋料理店「自由亭」として馬町に開業しました。現在は2階を喫茶室として開放しています。
旧グラバー邸前の巨大な蘇鉄の木は、グラバー邸が建てられた当時、グラバー氏と親交のあった薩摩藩主島津侯から贈られたもので、300有余年の樹令といわれています。
この狛犬は、今日のキリンビール社のラベルの基になったものであり、又、ラベルの「麒麟」に太い口ひげが描かれているのは、キリンビール社の前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーの社長を勤めたグラバーの口ひげをもとにしたと言われています。
急ぎ足で回りましたが、グラバー園観光の最後に「長崎伝統芸能館」があります。長崎の氏神様の諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」の紹介を約10分間のビデオと奉納される出し物などを展示しています。
場 所:長崎市南山手町8-1
電 話:095-822-8223
営業時間:8時〜18時(季節によって違う)
定休日:なし
入場料:600円
交 通:大浦天主堂下電停より徒歩3分
大浦天主堂を拝観する場合はそのまま料金所まで行けます。
駐車場:登り口と出口付近に有料駐車場があります。
グラバー園をタクシーで観光する場合は、殆どの運転手が入り口で降ろして、出口の駐車場で待機しますので、写真を撮って貰うだけでもいいので、一緒に回って貰うようにして下さい。グラバー園はゆっくり見て回ると1〜2時間ほど掛かりますので、その間運転手さんを遊ばせる事になりますよ。





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